5/11/2007

バタシーパーク発電所、空とぶ豚、ディラン

2006年度作品「トゥモロー・ワールド Children Of Men」(109min)

「今更 不妊症の治療法を見つけても世界は もう救えない。
          それは人類が生殖能力を失う前からの話だがね」

まず僕は情熱のはけ口を音楽に求めるという事が思春期にさえなかったので、この作品に込められた音楽ネタの意図するところを汲み取れていない。今更それを言ってもしょうがないのだが、非常に残念だとは思う。まあこういった所から色んな知識を得ていくのはまさにこのブログのモットーでもあるのでここから始めていこう。原作は「人類の子供たち The Children of Men」(1992年)P.D.ジェイムズ著。

西暦2027年、人類に子供が誕生しなくなって18年。 今日世界で最年少の若者が、ファンに刺されて死んだ。ただ死を待つだけになった希望のない世界の中、押し寄せる難民を排除する事によって、英国は未だかろうじて秩序を維持していた。エネルギー省に勤め、この世界にあっても文化的な日常を営めているセオであったが、彼ももちろん、もはや生きる事に興味などなかった・・・。

いやー、SFって本当にいいですねっ!

見終わった後、いや話が進むにつれ強く感じていた事がそれだった。僕は今SFを観ている。それもとびっきり上等なやつを!
僕は「マイノリティ・リポート」が大好きなんですが、それはあの映画における「本筋とは関係ない未来ディテール」がとにかく面白かったからで、それは壁を走るマグ・レヴであったり、街中で勝手に認証されまくる網膜スキャンであったり、最高アイテム 嘔吐棒な訳ですね。本作「トゥモロー~」は未来といえども文明は歩みを止めてしまったし、舞台は田舎や廃墟ばかりで、あまり未来ガジェットは出てこない感じなんですが、車のメーター類は全部HUD(Head Up Display)でフロントガラス投影式になってるし、衝突警報も標準装備(ひっそりIMPACT!って警報出してる!)。またオービスのカメラ管理網の徹底されている感じとかが割とたまらなく魅力的です。テクノロジーと軍事を疎かにしない作家は信用できますね。
しかし未来が舞台だからSFという訳じゃないし、テクノロジーを扱えばそれがSFかといえばさにあらず。 何がSFかと言われればこの作品のマインドな訳です。

「“セブン”がTVでオンエアされた頃(1967年)には、SFというのが、生命や人間とは何なのかを考え未来の生き方を示す新しい哲学や宗教になるかもしれないというある種の希望がありました。その後そうした希望は徐々に失われ、SFは“スター・ウォーズ”のようなエンタテインメントとなって発展した。(武上純希 TVブロス2002年10号より)」

上の言葉はウルトラセブン特集での言葉ですが、なんて素敵な話なんだろうと思った。これはもちろんニュー・ウェーブの動きの事についての話なんだろうと思うんだけど、僕はニュー・ウェーブの歴史的意義については詳しく知らないし、関連作品も残念ながら読むにいたっていない。僕が素敵だと思ったのはSFをとても大切に思っている人々がいたという点だ。SFに希望を込めていたと言ってもいい。未来に向けての希望。
このイメージは「トゥモロー~」の印象ととても近いものを感じる。SFの定義は難しくて、人によってこれはそう、これは違うとかはあると思うが(「未知との遭遇」がSFか否か論争とかあったというんだからねえ)、今作に限って言えばそれは「現実の一部の拡張」だろう。不必要なものを削ぎ落として必要なものだけを見せる為の世界設定、そして物語。つまり「子供が産まれるという事」ただそれだけを考えてもらうための映画なのだ。日常において、幸いにもこの現実では毎日子供は産まれている。しかしそれを「奇跡」だと感じるほどの感情として感じる事は稀だと思う。本当はそう、「奇跡」なのにありふれているが為にそう感じる暇がないのだ。もちろん親となった者はこれが奇跡だという事を知るだろう。だが当事者にならない限り、なかなかそこまで心を持っていく事は、知識で判ってこそすれ、感じることは人には難しいと思う。
だが物語になら、いやSFにならそれを最大限に感じさせる事が、すくなくともそれが「奇跡」だと改めて感じさせる事が可能なのだ。沢山の人間に同じ感覚を感じさせる方法としてのSF。ここにSFというものが持つ冷徹な理論としての仕組みから紡ぎ出される設定と物語、そしてなによりそれを駆動させる熱いマインドを感じるのだ。世界が寒く冷たければまた、ほのかな温もりは熱く大切に感じられる。この映画を覆う、激しすぎるとまで思う残酷さは絶対この物語には必要なのだと観終わった人には分かるはずだ。最高。

★★★★★

しかし「産まれない理由がわからない」なんて感想を聞くとがっくりきますなー。文頭の台詞が始まって10分で語られるのに、なんでそんな期待をするのかわからん。自殺薬の箱を開けた時、尻尾振るのをやめる犬の描写とかちゃんと観てるのか!?あとジュリアンの親がNYの事件で亡くなったというのを911だと考える人をたまに見ますが、違うと思うよ。ニュース映像で摩天楼にキノコ雲あがってる映像があるので。

4 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

発電所はわかんないけど、ディランとかピンクフロイドとかへのオマージュみたいなのあるんだよね。
映画の主張の根底にあるのであろうヒッピー文化的なもの(“Shanti, Shanti, Shanti”)も含め、60年代後半ぽい雰囲気、というか世界観?を目指してるのかなぁ。

あ、テキスト上のリンクの引き方はソース見ればわかるよ。

アダモちゃん さんのコメント...
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アダモちゃん さんのコメント...

感想追記。
やっぱ見る人を選ぶ映画であるとは思う。ネットのレビュー見ても、「わからねえ」「説明不足」「SFじゃねーじゃん」っていう人さえいたからね。
僕がこの映画の「説明のなさ」を周到に用意されてるものだと思ったのは、それがこの映画の核になってるから、と感じたから(5/9記)なんだけど、どうも映画自体に「客を選ぼう」って意識があるような気もします。詰め込まれた情報量、それを理解する能力に比例して、ストーリーへの移入度が高まる設計というか、「汲み取ってイマジンしろ」みたいな姿勢を感じる。
つまり「人類が不妊?よっしゃ原因を解明だー」っていう映画が「アルマゲドン」(観てないけどな)なんであって、そういうのだけをSFと思ってる人は…まあ…「アルマゲドン」観てれば?っていうことじゃないでしょうか。それが悪いともレベルが低いとも僕は思わないけど、この映画に対する酷評の数々に、ちょっともの申したい気分ではある。
詳しくないんで前の感想じゃ言えなかったけど、あの赤ん坊は明らかにメシア(=イエスの再来)のメタファーでもあるんだろうし、エピソード的な聖書との関連もありそうだ。プログレやボブ・ディランといった時代の音楽をほとんど聴かない僕にも、わかってないとこはきっといっぱいあるんだと思う。で、素晴らしいなーと思ったのが、監督が未だに原作を未読、ってことね。予備知識がなければ作品が理解できないのか?っていうとそうじゃない、知識がないことが有効なことだってあるし、何より重要なのは、「言ってることをどう受け取るのか」「見終わったあと何を考えるのか」っていうことなんだ、ってことをですね、一番象徴的に表すエピソードだと思います。やるじゃん井上。

watanavader さんのコメント...

井上?

聖書はどうだろう?家畜小屋での妊娠告知のとこは確かにそのまんまな感じはするけど、キリスト教徒の事を示すFISHがあんな描かれ方だしなー。
それよか主人公だけが動物に好かれる描写のほうが気になるね。なんだろうあれは?